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コンサル女子 Hiroko のシリコンバレー目うろこ記

生粋東京っ子が実体験から思考した、"シリコンバレーと東京の差/GAP"を紹介します

SVの超ヤバイ肯定文化(2):自己肯定感

ハワイのビーチで、20代ブロンド綺麗系、だけど凄〜くふくよかな女性、がビキニ姿で超楽しそうにしている姿を見たことある人、いらっしゃいますよね? 私、初めて目撃して以来、あまりに堂々と幸せそうな彼女達の姿に圧倒され、足が太いとか気にしている自分が超〜〜〜バカらしくなりました(苦笑)。
 
もう一つ。
 
スタンフォード大学院への応募に必要なエッセイや面接を助けてくれた先生に私、思い切り叱られました。
 
Hiroko! If you live in the States, you have to shift your attitude!!!
 
要は「私なんて...」とへりくだり過ぎ(そんな気はないのですが・・むしろそれが問題?!)、それは米国では全く理解されない。もっと「私は自分の人生が大好き、私はこんなことができる無二の人よ!こんなことをしたくてワクワクしてるわ!!」というのを全身で表現せよ、と言うのです。
 
ということで今回のテーマは「自己肯定感」です。
 
 
衝撃な女子的服装
ハワイはリゾートだし... と思いきや!シリコンバレー(SV)も同じでしたー。
 
先日、劇場パフォーマンス "キャバレー"の客席で目にした女子に衝撃を受けました!!  なんとマツコ・デラクックス級の20代女子が、バックオープンの超セクシー系ドレスで現れ... それも、モジモジする様子は1ミリもなく、むしろドヤ的に!!  

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席的に、その素敵にふくよかなヌードの背中を思い切り目にする私の方が、目クラクラ(0.0)・・・!!
 
彼女に限らず、SVでは、東京では絶対に目にしないふくよか体型女子が、ピッチリ系スパッツを普通に着て歩いているのです。恥じらい感、全くなく!!  <---ここ大切w
 
衝撃な告別式
先日、ある方の告別式に参列しました。超大手企業の偉い方で、通夜は数え切れない人でしたが、告別式はごく親い方限定でした。が、その場所はなんと、高級車のレンタルガラージュ(故人が高級クラッシックカーのファンだったため)。涙が苦手な故人を敬し、女性は正装ドレス、男性は上着正装・ボトムカジュアルという(やや難しい)ドレスコードのパーティで、なんと奥様は真っ赤なドレス、大学生のお嬢様方もオレンジ・ピンクのドレス、実のお母様まで白いドレスをまとい、参列者と笑顔でお話しされていました!

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SV的自己肯定感
「私はこうしたいので、こうします(それが、何か?)」、「私は私の存在・生き方に満足しています」、「私は生きる価値があり、誰かに必要とされています」と、心から思う感覚、自分の良いところ・悪いところすべてを肯定する前向きな感情を「自己肯定感」と言うなら、SVっ子のそれは明らかに東京っ子のそれよりも平均大きく上回っていると思うのです。
 
なぜだろう?
 
真の自己肯定感は究極、「他人が定義した正解・理想像との比較に基づく否定感・不足感が無い」ことから生まれる、と思います。つまり、正解や理想像と比較して自分はOK、なのではなく、そもそも比較なんか全くしなくて、自分で勝手に「私っていけてる!」と言い切る感覚です。
 
なぜだろう?
 
1つは、SVの地の利、即ち、米国の中でも特に移民にオープンな地であること、が大きいと思います。
天気の良い週末にスタンフォード・デッシュを散歩すると、それはもう本当に、聞いたことも無い言語含め10数種類のいろいろな言葉を話す人たちとすれ違います。彼らは皆、母国の文化を尊重・維持して生活しています。つまりSVでは「違う」ことが普通で、唯一の「標準 / 正解・理想」がないのです。
 
もう1つは、SVの人々が努力して維持している価値観が大きいと思います。
私の尊敬する3児のワーキングママNは、長男(3歳)を長女(5歳)と敢えて違う学校に通わせています。SVでは子供の送り迎えを親が車でするわけで、働きながら子供を違う学校に通わせるのは、相当の労力を伴うのですが、その理由が「同じ学校に通わせると、長女が長男をコントロールしようとする(長女から「こうしなきゃだめよ!」と否定される経験を長男にもたせたくない)から」。
 
共通するのは「多様性」、つまり「皆一人ひとり違う、多様な事は良いことだ」という価値観なのでは、と思います。
 
 
翻って日本
多様性より均質性を重視してきた日本。自戒を込めて書くと、無意識に正解や理想像と比較することが身に染み付いています。そして、それが「自己肯定感」を持ちにくくしている最たる理由だと思っています。
 
かく言う私は、10数年前からTVや日系女性誌は一切目にせず、リア充自慢系のfacebook投稿は非表示にするので、芸能系はおろか、「カリスマXX」とか「読者モデルXXさん」らの華麗な日々を全く知らないのですが(笑)、それでも幼少から刷り込まれた「あらねば」には無意識に囚われていて、「私って全然ダメ」感満載な毎日を送っています。
 
先日SVの友人に、「日本人ってさ、自信を持つには他人の認証が必要だと考えてるよね。けど自信を持つのにそんなもの全く要らないのさ、自分は凄い!って自分で信じればいいんだよ」 と言われ、目うろこでした。
 
 
多様性 vs 均質性
SVの多様性カルチャーを実経験して発見したのは、"多様"が前提の場合、相手との「共通項」に対し敏感になり、共通項を見つけて一体感を得るか、あるいは相手の絶対的ユニークさを称賛して学びを得るか、そのどちらも嬉しい気分になりがちなことです。一方、"均質"が前提の場合、相手と自分または標準/理想との「違い」に対して敏感になり、超ささいな差含め、劣等感・優越感に一喜一憂し、時に不快感を覚えたり、上から目線の批判をしたり・されたりしてしまう、結果、不要なストレスを抱えがちでは?と思います。
 
 
多様性、均質性、それぞれ良い面・悪い面あり、どちらが正解・不正解とジャッジする意図は全くないのですが、少なくともSVは多様性カルチャーがより強く、結果として自己肯定感を人々が持ちやすい場が育まれているよなぁ、と思います。
 
人生後半戦の私は、「他人が定義した正解・理想像との比較に基づく否定感・不足感」って、貴重な残り人生の無駄遣いだよーって思いますし、母・娘・妻・上司など数役を超人的にこなすワーキングママな愛する日本の友人たちには、不必要な不足感・劣等感に心病まれないでほしいなぁ、と思うのでした。